人生はサバイバル⑤

毎日、少しづつ書くのが楽しみになってきました😁 読んでくださる方がいると励みになりますね! 

今回は、暗黒の時代の幕開けです。 周りとの違いがどんどん自分の劣等感につながっていきます(^_^;) 


さて、クラスメイトに言われ「うちは貧乏なんだ」と思ってはみたものの、貧乏がどういうものか分からずでした。 でも、みんなの家と違うから、だからわからないんだなぁ~~~と思ってました。 

私には、1つ違いの兄がいるのですが、病弱でてんかんがあり、強い薬を飲んでいた副作用で、目を離せない状況が多く、母は兄につきっきりでした。小さい頃から、脳神経クリニックに通ってました。病院に行く前の日は、寝てはいけないので(←脳波測定のため)母と兄は夜更かししてしてそのまま病院へ行っていました。(私は寝てて病院だけ一緒に行ってました)

小学校に上がるのも、もちろん兄が先だったんですが、そんな状況だったので、母は自分の勤めていた小学校に一緒に連れて行ってました。そこでは普通学級にいたと思います。なので、情報交換というか、小学校とはどんなところ?とかわからなかったんですね~~~(笑)

父にも相談できない…母は兄のことで忙しいそう。という訳で、誰にも心のモヤモヤを話せず、どんどんモヤモヤ貯金が増えていきます😅 


そして、関わるのがめんどくさくなり、行動も荒れていきました。 とにかく家にいたくないので、帰ってこない。門限は守らない。家族との行事はできれば参加したくないので、その回避策を考える…。といった感じでした。 

今考えると、母にかまって欲しかったのかもですね😅兄につきっきりで、私がないがしろにされていた訳ではないのですが、「あなたは1人でできるでしょ」となるので、寂しかったんでしょうね。

あと小学校で絶対的にキツかったことは、母が同じ区内の小学校の先生だったということです。 


通っていた小学校の先生は、母のことを知っていたりするのですね。すると「先生のお子様」となるので、何かあるとすぐ、"先生のお子さんなのに…。"とみられるのです。クラスメイトにバレると、「お母さんが先生だと、テストの答えわかるんだろ」とか言われるのです。 母は、先生といっても音楽教師なので、担任はもってなかったんで、テストとか関係ないんですけどね。

でも、父は前から書いている通りの教育なので、先生達からしたら、

「はぁ???」

ってなるんです。一般的な想像できる範囲を超えているからだと思います。

そこの狭間で過ごさないといけなかったこの時代はほんとしんどいしかなかったです。


長くなってしまったので、今日はこの辺で。
読んで頂きありがとうございます✌️😊✌️ 

では、また次回!

@まつえの世界

人としてどう生きるのか?「在り方」を常に考えながら生きてきました。 発達障害や心の病も経験し、どん底まで堕ちていたこともありました。そんな自分が心底嫌で、自分を大好きでありたいとおもっていろんなことを試した結果思うことを綴ってます。

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