「だってしょうがないじゃない」を観て。
自粛期間のミニシアター応援ということでやっている「仮説の映画館」で見つけた映画。
ミニシアター好きだけど、地方に引っ越してから見れる機会がほぼ0だったから嬉しいお知らせ(映画館を運営されてる方は大変だけど)。
この映画を観ようと思ったのは、監督さんが同年代で、同時期に「ADHD」の診断を受けていたこと。その監督さんが同じく発達障害をもつ親戚のおじさん「まことさん」に密着したドキュメンタリー。
本当は違う映画を観ようと思っていたのだけど、「だってしょうがないじゃない」の言葉に惹かれて予告を観たら、本編みたくなりました。
「だってしょうがないじゃない」って私もよくいう言葉だったから。
主人公のまことさんは、とてもピュアな心の主。優しく、穏やかに自分の世界を生きている。声のトーンとか雰囲気もあったかくて見ていてホッとする感じ。
まことさんが監督さんを「義史さん」って呼ぶときの柔らかい感じ。「ありがとうね。またね」という時の満たされる響き。
私が印象に残っている場面はいくつかあるけど…。
まことさんが隣人にクレームをつけられ、後見人の伯母さんに怒られたことを監督さんに伝える場面。
早朝、ビニール袋がふわふわと風になびき飛んでいくのがおもしろいと感じ、どんどんビニール袋を飛ばした結果、袋が道路に散乱してしまい、それを見た隣人が「ごみを散らしている」と怒ったそうな。
まことさんは、いけないって分かっているけど、おもしろくてやっちゃうんだよな~。と言っていた。
気持ちすごくわかるなぁと。私もその傾向があって、やめれないことが多いので、おなじく怒られる回数も多かった。いまでこそ、ストッパーとなるものがあるので止めれているけど、それでも必要なことは紙に書いていろんなところに貼ってる(笑)
←怒られる防止策。
映画のなかで、監督さんとまことさんの会話。
監督さんが40過ぎてから、ADHDの診断されたことを奥さんに話したら、「発達障害を言い訳にしないで」と言われたそう。そのことにまことさんは「しょうがないよ。奥さんにはさ、わからないよ」と言っていた。
そして、監督さんは「部屋が汚いのもやるべきことを先送りにしがちなのも、自分に由来してるのかもとも思う。」と言ってました。
実はこの夫婦のやり取り。我が家でもまったく同じことが起きていました。
私が診断を受けた時、そのことを旦那さんに話したら、同じく「発達障害を言い訳にしないで」と言われたのでした。
その当時、その言葉がショックすぎてどん底にいたのを思い出しました。(いまとなっては懐かしい記憶。ははは~)
映画でのこのワンシーンのことを旦那さんに話をしたら、「出来ている実績があるのに、ある部分を雑にしてごまかしているから、イラッとするんだよ。やればできるのに、すぐさ、”しょうがないよね”と言って考えないよね。」と言われました。なるほど。
「だってしょうがないじゃない。わからないんだもん。これでも私なりには工夫してがんばってるのよ~」あはは~。
今はズバッと言われてもあまり刺さらなくなりました。切り替えうまくなってきた。グッジョブ!
「自分で考えて」と抽象的に言われて、自分なりには想定しても相手の要求には届かないのこともおおいので、今は「具体的に」いうようにしてもらってます。
私はざっくりと全体をみて流れとみる人。
発達障害という考え方、賛否両論あると思います。「それは個性だよ」ともいえるし、「脳機能に不具合があるんだよ」ともいえると思います。
ただ、機能に不具合があると思うのは、「今の社会システム」に馴染めないからなのかもと思いました。
ある視点から見れば、それは「不具合」になり、また違った視点からみれば「個性」なのかも。
周りの環境が許容、受容の社会なら、「不具合」は「個性」になるのかもと。
映画をみて、ふとそんなことを思いましたとさ。
それぞれが、お互い認め合える世界だったら、平和で調和的でハッピーだよね♡
映画のリンク。↓↓↓↓↓↓↓
0コメント