父からの想いを繋ぐ💖

隠していたわけでもないので、知ってる方は知ってると思いますが、

私の父親は「カントリーウォーカー」という職業(日本に1人だけ)でした。

物心ついたころには、もうそういうお仕事だったので、家にいる時期といない時期がはっきりしていました。

いまでも、どんな職業なの?と聞かれると、説明にこまるので、「文筆業とか旅人」と答えています(^◇^;)

本を何冊もだしてして、新聞、ラジオ、たまにテレビなどメディアにも出演していました。

そして父に相談とかで会いに来る人も多く、いつも家には誰かわからないけど、だれかいることが多かったです。

小学校に行けば、母を知る人がいて、「ああ〇〇先生の娘さんね」となり、旅先では父を知る人に「ああ〇〇さんの娘さんね」となり。

常に両親という重圧があったのです。


また、兄のことでからかわれたことも多く、それがまた「嫌だ」に拍車をかけていて

こじれた関係性でした。


家族のしがらみから逃げたくて、両親をしらないであろう環境で個性を確立しようと試みても、「もしかして、まつえさんのお父さんは、この人?」とメディアにでた父のお話を聞いたひとにきかれ「すごい!有名人なんだね」と言われるのが、嫌でした。

いやいや有名人じゃないし…。と心でツッコミ入れていたような(笑)

まぁある意味一般人ではないのですが。

取材や収録の話は、日常会話だったし、出版する際のお手伝いというバイトのようなこともしていました。


目立ちたくない。と思っていても、目立ってしまうだったんです。


なぜ、今更このことを書いているかというと、今はこのように育ててくれたことに感謝しているからで、

エネルギーの世界を学んだことで、父の生き様をすこし理解できたからで、

今住んでる場所にいてこれからやりたいことがまさに父から教わった人生の歩き方だったからです。

自然とともに共生すること、調和のエネルギーで生きていくこと💖💖



それがいちばん私には合っていて、落ち着く在り方だということに気づきました。

父の著書の一部。

@まつえの世界

人としてどう生きるのか?「在り方」を常に考えながら生きてきました。 発達障害や心の病も経験し、どん底まで堕ちていたこともありました。そんな自分が心底嫌で、自分を大好きでありたいとおもっていろんなことを試した結果思うことを綴ってます。

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